これからはペットロスとの闘い

このブログのタイトルは病との戦いですが、今度は自分のペットロスとの戦いになってしまいました。新しいペットが来る時は戦いというネーミングはやめたいですね。

 

私は元々不眠気味ですが、こういう事件があると膀胱炎を伴って悪化します。

 

不眠日記を書けば、ぽんちゃんが亡くなった木曜日の晩はルネスタ1mg、金曜日の晩は翌日お葬式という力仕事?があるのでルネスタを2mg、土曜日の晩はリーゼ5mg。何を飲もうと2時間後には必ず中途覚醒して、通常の倍量飲んだ金曜日だけ4時間眠れました。

 

家族が一人いなくなったという特別な事情がある今は気にせず普段より多めに飲もうと思っています。原因がわかっている以上必ず時間が解決してくれると思います。

 

 

眠れない時は些細なことが気になります。

 

まずはあの巨大な骨壷をどうしましょう。。。

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先代犬たちの4倍ぐらいの大きさです。手元供養も21年、11年目に入りますが、二つをずっと自分の部屋に置けたのは小さいサイズだったからでしょう。

 

今回は満中陰以降に納骨しようと思っていますが、ぽんちゃんのしっぽのお骨は毎日持ち歩くのでどうかお許しをという感じです。

 

火葬が終わった後すぐに初七日をやりましたが、遺体の大量のクレメジンと巨大な骨壷を巡ってお経に集中できませんでした。

 

あとでお坊さんが涙がすっかり乾いた私をご覧になって、「だいぶ落ち着かれましたね。」??

 

 

木曜日から仕事をろくにやっていないので溜まりに溜まっていて、気功をお休みさせてもらうことになりましたが、ここで気功自体をやめることになるとは思いませんでした。

 

先生に「また同じ犬種を飼いたいと思いますが。。」と申し上げたら、「動物愛があるのでしたら保護犬を飼うべきでしょう。」と返されました。

 

正論、ド正論ですが、前日にペットを亡くした人にかけるべき言葉ではないと感じました。

 

平和な場所で「戦争は良くない、停戦!停戦!」と言えますが、現場にいれば食うか食われるかの世界であるのと少し似ています。(ちょっと、いや全然違うかもしれませんが。)

 

社会正義は心の余裕から生まれるもので、まだ私はそこまでリカバリーしていません。

 

とても良い先生ですがいつもどこかでキリスト教イスラム教のようにズレるのを感じていて、ペットロスを抱えたままこういう感じでお付き合いするのは辛いと考えて辞めることにしました。今は弛緩法ならマッサージに行きたいです。歯も痛いかも?

 

猫でも小鳥でも虫でも何でも愛しいですが、動物愛というよりもバセット愛が深い自分に気づきました。

 

還暦で飼うとなれば今度は七十代で今の心労を経験しなければならなくなりますが、それにも増してバセット愛が強ければもう一度バセットを飼うと思います。